僕らは本当にチャートを観ることができているんだろうか? 2018.09.30
おはようございます。
Do. です。
今日の自然道のテーマは「 観ること 」。
「 見る 」ではなくて
「 観る 」。
先日 NHK の「 プロフェッショナル仕事の流儀 」で放送された
昆虫写真家 栗林慧さんの生き方。
彼の生き方を見ていて、
改めて「 無条件で観ること 」
の大切さを感じました。
以前もご紹介したことがある、ナシーム・ニコラス・タレブの『 まぐれ 』という本の中の
この言葉。
*******************************************************************
なんだか、星が二つあるみたいな感じだ。
一つは私たちが実際に暮らしている星、
そしてもう一つは、
私たちが暮らしていると信じている、
ずっと決定論的な星だ。
これはとても単純な話だ。
すでに起きたことはいつだって実際ほどには
偶然には思えないものだから( 後知恵バイアスと呼ばれる )
誰かが自分の過去の経験を語るのを聞くと、
ほとんどは勘違いした頭で振り返ってでっち上げた
後知恵の説明だったりする。
そういうのは我慢がならない。
*******************************************************************
勘違いした頭で振り返ってでっち上げた後知恵のチャートを
実は、リアルタイムでも見ているとしたら?
特にポジションを持っている時は
有利な方に動いてほしいという思いが強くて
ありのままのチャートを観ることが
非常に難しくなります。
常にありのままのチャートを観続けることは不可能に近い、
とは思いますが、
できるだけそうありたいですよね。
そのためには、
もう少し「 観る 」ことに貪欲であってもいいかな、と思います。
もしかしたら参考になるかも、、、
と思って本棚から取り出したこの 3 冊。
パラパラとめくっていると、
素敵な言葉が目に飛び込んできたので紹介しますね。
*******************************************************************
マテウシュ・ウルバノヴィッチ 『 東京店構え 』
小さな東京のお店には「 何か 」があります。
熊谷守一 『 へたも絵のうち 』
誰が相手にしてくれなくとも、
石ころ一つとでも十分暮らせます。
石ころをじっとながめているだけで、
何日も何月も暮らせます。
監獄にはいって、いちばん楽々と生きていける人間は、
広い世の中で、この私かもしれません。
ペーター・ツムトア 『 建築を考える 』
デザイナーとして風景に適切に対処しようとするなら、
次の三点を考慮しなければならない。
まず、風景をしっかりと見つめること。
森や樹々、葉、草といった、
生気に満ちた大地の表層を見つめること。
そして見ているものに対して愛の心を育むこと。
私たちは愛するものに害を加えることはないからだ。
愛する相手にはあたうる限りやさしくしようとするからだ。
第二は、いたわることである。
私はこれを、土地を利用しつつ、
同時に持続可能である伝統的農業から学んだ。
伝統的農業には人間を養ってくれるものに対するいたわりがある。
第三に、かけがえのない環境に組み入れる対象に対し、
適切な寸法、適切な量、適切な大きさ、適切な形を
見出そうと務めること。
共鳴や調和、ないし緊張はそのようにして生まれる。
風景を愛すること、心をこめて見つめることが、
適切な寸法を見出すための前提であると思う。
「あたかもそれが昔からそうであったかのように見えるようにしたい」
ペーター・ツムトアさんの言葉として紹介した
深澤直人さん(工業デザイナー)の文章からの引用
*******************************************************************
ペーター・ツムトアさんのこの言葉。
「 適切な寸法、適切な量、適切な大きさ、適切な形を
見出そうと務めること。 」
これって、ロジックを作る時の
インジケーターやパラメーターの適正値を作り上げる時のやり方と
全く同じだなあ、と感じました。
「 見ること 」ではなく「 観ること 」に
もっと貪欲になってみませんか?
これまでと全く違うチャートが
そこにはあるかもしれません。