どうしてトレードをやっているの?:2018.08.12
おはようございます。
Do. です。
今日の動画では、
2 冊の本から「 なぜ、トレードをやっているのか? 」
というところまでつながっていく流れを話しました。
4 ~ 5 日かかるワークショップで話すような内容を
20 分程度で話そうとしているので相当無理があります^ ^
断片だけでも心の何処かに引っかかっていれば
いつか、何かとつながることがあると思いますので
軽く聞き流す感じで聞いていただけたら嬉しいです。
最初に紹介したのは、『 夏子の酒 』。
昨日、嫁さんと映画を見に行った後、
入った洋食屋さんに置いてあったんですね。
懐かしくて、1 巻だけ読んできました。
私が学生時代だったと思うんですが、
兄が全巻持っていたので借りて読んだ漫画です。
死んだ兄の跡をついだ酒蔵で、
幻の酒米、龍錦を育てて
純粋に良い酒を作りたい、という気持ちだけを貫いた夏子。
その純粋な気持ちに久しぶりに触れて
原点に帰ることが出来たようで嬉しかったです。
また、カレーを食べに行って続きを読みたいなあ、
と思っています。
もう一冊は、
『 知識想像の方法論 ― ナレッジワーカーの作法 ― 』
野中郁次郎 + 紺野登 著
この本、とんでもない本です。
経営、という視点で書かれていますが、
生き方、という視点で読めば誰にも通じる話です。
もし、本屋さんで見つけたら、
48 ページからの、西田幾太郎さんの部分、
5 ページだけでもパラパラとめくっていただければと思います。
その部分に夏目漱石の話が出てくるのですが、
こんな記述があります。
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明治 3 年(1870年)に生まれた西田幾太郎は
日本ではじめて体系的な哲学を確立した人物として有名です。
彼は禅の道に精通していて、
その思想を色濃く反映した「無」の哲学を構築しました。
― 中略 ―
『 善の研究 』において「 純粋経験 」という言葉で西田が表現したのは、
単なる個人的、主観的体験を超えたところにある、
自己の超越でした。
― 中略 ―
夏目漱石が晩年に達した「 則天去私 」の境地とも
共通するものだといわれています。
東洋の賢人は、自然に融合し、混沌を受け入れ、
生命力を得てきました。
則天去私とは、漱石自身の造語で、
天に則して私を去る、という意味です。
漱石のテーマは、
個人主義と利己主義はどこが違うのか、ということでした。
私たちは近代社会においては
個人主義的な生き方をしなければなりません。
本来の個人主義は他人との相互尊重において成り立ちます。
しかし、現実的には、
往々にして自我優先の行動は利己主義に走りがちになります。
漱石はこうした利己主義を批判し、
自我の執着から脱して、
天地自然と一体化して、
自由自在に内面的要求を満たして生きることが
真の個人主義と考えたのです。
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そして、その話の後に
「 個人があって経験があるにあらず。経験あって個人ある 」
という西田幾太郎の言葉。。。
これは、ノンデュアリティ( 非二元 )のスピーカーが言っている
「 私はいない 」
にもつながります。
さらに、極めつけはこの言葉。
チクセントミハイの提唱した「 フロー(flow) 」の概念につながる。
ここまで書いてもらったら、もう、「ありがとうございました」
と著者に言うしかない状況です^ ^
( M. チクセントミハイの『 フロー体験 喜びの現象学 』という本は
いずれ紹介したいな、と思っていました )
これまで、点でしかなかったいろいろなことが
この本で線につながったような感覚。
私にはちょっと難しい表現も多いので、
同じ内容で、ひらがな感覚で読めるような本があったら
とっても嬉しいなあと思っています。
さて、では、これらの話が、
どのように「 どうしてトレードをやっているのか? 」
につながっていくのか。
トレードの目先の目的は、お金を稼ぐこと。
これに異論がある人はいないと思います。
ただ、もう一歩踏み込んだところ。
その先に行きたい、と感じた時に
多くの人がぶつかる壁があります。
トレードしてお金を稼いでも
直接だれかに感謝されることがない、という事実。
この壁はとっても厚い。
例えば、私が大工をやっていた頃は
直接お客さんの「ありがとう」の言葉を
聞くことが出来ました。
その言葉を励みに、仕事に取り組んでいました。
ところが、トレードでは
利益が出たからといって
チャートさんからお礼を言われることはありません。
利益という結果に対して、嫁さんが喜んでくれる、
あるいは、そのお金を使うことで
社会に対しての貢献ができる、という部分はありますが、
直接的な喜びとはちょっとだけ距離があります。
そこで、出てくるのが
チクセントミハイが提唱した「 フロー 」体験です。
芸術家やプロのスポーツ選手が表現することがある、
ゾーンの体験にも通じること。
良く、一流のバッターは
「 ボールが止まって見える 」
と言いますが、
この表現が一番わかり易いかもしれません。
トレードしている時、
チャートとは常に主体、客体の世界で分離しているはずですが、
なぜか一体感を感じて、その先が見えてしまうような感覚。
この感覚って、長年トレードをしている人だと、
感じたことがあると思います。
もしかしたら、
この感覚を体験するためにトレードをしているのかな、
と思っています。
トレードを通して「 無 」を感じる体験。
これが、現状での
私のひとつの答えです。
明日には変わっているかもしれませんが^ ^
最後に、『 知識想像の方法論 』の
最後の一節を紹介します。
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私たちは理想主義とプラグマティズムを結婚させなければなりません。
それはいわば理想主義的プラグマティズムと呼んでよいものです。
それは、理想を抱きつつも慎重に現実を見極め、
自覚しつつも突っ走り、
顧客のことを考えながらもそれを超え、
苦なるものを楽に変える。
これらを執拗に追求する。
こうした姿勢が今後の経営者、現場、個々人のすべてに
共有されている必要があるのです。
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