【 FX 】チャートの声が聞こえたら素直に従う:レンジ戦略応用編:2018.03.01 朝のライン
おはようございます。
Do. です。
昨日は日経の下落を受けてドル円も下げてきました。
一度落ち着いていたのですが、今朝の 1 時過ぎから
下落を再開して、その後、レンジという展開です。
最近は、トレンドとレンジの違いが明快なので
分かりやすいチャートが多いですね。
ただ、昨日の日中は、レンジ勝ち逃げ大作戦にとっては
ちょっとやりづらいチャートが多かったです。
そんな中、昨日から今日にかけては
今週の課題になっている、再エントリールールと
応用編の検証を行っています。
結果はこうなりました。
検証課題の再エントリールールは、今のところ
チャートの状況が問題なければ、再エントリーはOKだと感じています。
ただ、時間が経過していくほど
トレンド発生のリスクは高くなるので注意が必要です。
時間軸を含めたルールにするのかどうか。
例えば、最初にエントリーした後、1 時間は再エントリーOKとか。
あるいは、2 回利確したら、あとはそのチャートではエントリーしない、とか。
リスクを抑えることを最も強く反映させるなら
1 回利確したら、再エントリーはしない、というのもありです。
このルールについては、それなりに母数も必要になってくると思いますので
仮決定をして、今後の結果も含めてフレキシブルに対応していくのが良いと思っています。
もう一つの応用ルール。
これは、裁量ルールのカテゴリに入ります。
裁量トレードをする能力がないと思っているから
レンジ勝ち逃げ大作戦で、
ルールをとにかく決めたシステムとしてのトレードを構築しているのに、どうして?
という疑問も出てくると思います。
これには理由があります。
裁量ルールと言っても
「 どう考えてもこの先、こう動くよね 」といった
強力な優位性を感じた時のルール、ということになります。
「 チャートの声が聞こえる 」
という表現をこれまでもしたことがあると思います。
そのような時の、超応用編になります。
もしかしたら、インスピレーションの世界に近いかもしれません。
ただ、これはとても重要な感性になります。
科学で証明されたことしか信じない、
といった現代の思考がありますが、
科学は事実の分析にすぎません。
事実のほうが先にあるのです。
例えば、人がジャングルで生活していた時代、
目に見える前に、何かヤバイぞ、といった感覚で
危険を察知する能力、というのは本来持ち合わせていたと思っています。
これは、何か特別な能力ではなく
当たり前の能力として、人間という動物が持っているもの。
そうして生き残った遺伝子を持つ子孫が、今の私たちです。
そう考えると、
もしかしたら、今の私たちは、その能力を忘れているだけかもしれない、
というのが私の本音です。
「 チャートの声が聞こえる 」
というのは、特殊な能力ではなくて、
当たり前の能力として、みんな持っているもの。
ただし、思い出すまでには、数稽古が必要。
この感性は自然道にもつながります。
以前、メルマガコンテンツの【 自然道のことばたち 】で
オイゲン・ヘリゲルの『 弓と禅 』の一部を引用しました。
長文になりますが、今日の話に通じるところもあるので
書いておきますね。
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【 自然道のことばたち 】
「無心」の離れ
師は言われました。
「あなたの一番の欠点は、
まさにあなたがそのように立派な『意思』を持っていることです。
あなたは、矢がちょうどよい時だと『感じ』、『考え』た時に、
矢をすばやく射放そうと『意欲』され、意図的に右手を開いています。
つまりそのことを意識しています。
あなたは無心(absichtlos)であることを学ばねばなりません。
射が自然に離れるまで、待たなければなりません」
「しかし、私がそれを待っていると、いつまでも射が生じません。
私は弓を出来るだけ引き絞っていると、矢を放つことができず、
意識して放します。
引き絞った弓が両手を引き寄せてくると、
射が全く生じません」
と私は答えました。
師は答えられました。
「待たなければならないと言ったが、
これは確かに誤解を生む表現でした。
あなたは本当は無であるべきで、
待つのでも、考えるのでも、感じるのでも、意欲するのでもありません。
術なき術は、あなたが完全に無我(ichlos)となり、
自己自身をなくすところに本質があるのです。
完全に無我であることがうまく出来るようになれば、
射はうまくいくでしょう」
師はまさに私が弓道を学ぼうとした主題にとうとう触れたのです。
私は、このことでまだ満足しませんでした。
それ故、私は尋ねました。
「もし、私が単に無になるべきであるなら、
その時には一体誰が射るのでしょうか」
「誰があなたの代わりに射るのか、
それを一度経験できたならば、
あなたはもはや教師を必要としないでしょう。
経験した時にのみ初めて理解できることを、
言葉で以ってどのように説明すべきでしょう。
仏陀が射るとでも言うべきでしょうか。
この場合、どんな知識も口真似も何の助けになりましょう。
むしろ、自分自身に集中すること、
さしあたり自らを外から内へと向け、
しかも内なることも次第に視野から失うようにお習いなさい」
『 弓と禅 』オイゲン・ヘリゲル 著 より
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最後の一文、
「 むしろ、自分自身に集中すること、
さしあたり自らを外から内へと向け、
しかも内なることも次第に視野から失うようにお習いなさい 」
すべてはこれにつきる、と言えます。
この一文をちょっと違う角度から見て書いてあるのが
岡本吏郎さんの『 成功はどこからやってくるのか? 』の 91 ページから 100 ページ。
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私は、一つの世界で大きな仕事を成し遂げてきた人に必ず聞く質問があります。
「 ある日を境に自分にスイッチが入ったと感じた瞬間がありませんでしたか? 」
ほとんどのひとは、うれしそうな顔をして答えます。
「 そうそう。スイッチ、スイッチ。スイッチが入るっていう表現はいいね。
そうなんだよ。今まで苦労してたことが急に簡単になってしまったりするんだよね 」
彼らは、自分の努力の先にスイッチが待っていることを知りませんでした。
しかし、どうしてもそれがしたかった。そこでそれを続けた。
それには好きとか嫌いとかの次元とは少し違います。
「 それをやりたい 」
という単純な感覚です。子どものような感覚と言ってもいいでしょう。
そして、彼らは単純にそれを続けた。
( 中略 )
しかし、スイッチ・レベルならば、まだ大したことではありません。
実は、スイッチが入った人間だけが知っている、もっと凄い核爆弾があるのです。
その核爆弾を「 あいつ 」と言います。
本の著者の中には次のようなことを言う人が多くいます。
「 自分で書いた気がしないんだよね 」
「 どうも、自分の体を使って書かされているような気がする・・・ 」
これは、仕事がうまくいっている人もよく使う表現です。
「 何だか、不思議だよ。この仕事は自分でした気がしないよ 」
科学者や芸術家の発言にも似たようなものが多くあります。
これはどういうことでしょうか。
それについてはこのあと見ていくことにして、まずは結論を言ってしまいましょう。
この結論は、私がこの本で一番言いたいことです。
そして、私自身の仕事のやり方でもあります。
「 なぜ、私が仕事をしているかというと、” あいつ ” が来るのが楽しいから。
ただ、それだけ。 」
これが、私が仕事の上でいつも考えていることです。
どうやったら「 あいつ 」が来るか。
それに全てを集中しています。
残念ながら「 あいつ 」はいつも来てくれるわけではありません。
しかし、こちらが、彼の存在を意識し、
「 あいつ 」が来るように仕事をしていると彼はやってくるのです。
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「 あいつ 」については、これ以上引用すると長くなってしまいますので
是非、本を購入して確認してみて下さい。
「 あいつ 」と命名したのは、小室等さんで
『 人生を肯定するもの、それが音楽 』という著書の中で話している、と岡本さんは書いています。
小室さんは、「 あいつ 」が出て来る場面としてこの 4 つをあげています。
・危険のともなう所
・からっぽの所
・限界ギリギリの所
・毎日同じ時間に仕事場にいることを自分に課すこと
どうでしょう?
オイゲン・ヘリゲルの『 弓と禅 』とつながってきましたね^ ^