FX:子供の心になってトレードしたら?

子供の心になってトレードしたら?:2018.08.19

 

おはようございます。

Do. です。

 

今日の自然道の話は先週の続きになります。

先週の動画では

『 夏子の酒 』と『 知識創造の方法論 ―ナレッジワーカーの作法― 』

を紹介して、「 どうしてトレードをやっているのか? 」という話につなげていきました。

 

その答えは「 フロー(flow) 」を体験すること。

 

これが、今の私の答えですが、

今日の話は、その「 フロー(flow) 」について掘り下げました。

 

『 知識創造の方法論 ―ナレッジワーカーの作法― 』にはこのように紹介されています。

 

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純粋経験はすぐに理解しがたい概念ですが、

米国の心理学者、M・チクセントミハイ( 1934- )の提唱した

「 フロー(flow) 」の概念につながるものがあります。

チクセントミハイは、芸術家やスポーツ選手、音楽家、

チェスのプレイヤーなどが演技やゲームをしているときには、

一つのことに集中して最高に楽しい経験をしていること、

そして、共通した感じ方をしていることを発見しました。

彼らはそれらの行為における「 純粋 」に楽しい状態を、

流ている(floating)ような感じ、

流れ(flow)に乗っている感じと答えました。

ここから「 フロー 」の概念が名づけられました。

フローは日常のなかでわれを忘れる瞬間であり、

行為そのものに深く没入する経験だといえます。

これが彼らにとっての「 内発的報酬 」となって

集中が行われるのです。

 

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簡単に言ってしまえば、

子どもに戻って楽しいことをやっている状態。

 

「行為そのものに深く没入する経験」

これがとても重要なポイントになります。

 

僕らの行動には何らかの目的があることがほとんどです。

アドラー心理学の根幹にある「目的論」です。

アドラーについて書かれた、岸見一郎さんの著書、『嫌われる勇気』では

自室にこもりっきりの青年の話が出てきます。

 

「 不安だから、外に出られない 」のではなく、

「 外に出たくないから、不安という感情をつくり出している 」と考える。

 

このパラドックスは、私には衝撃でした。

 

もっとわかりやすい例では、

誰かに褒められたいから何かをする。

認めてもらいたいから何かをする。

 

私もそうでした。

 

この感覚は、主体が自分ではなく、

周りにあります。

 

自分の人生ではなく、周りの人に褒めてもらいたい人生。

 

これはちょっとおかしいですよね。

 

誰かのためではなく、自分のために生きる。

先週お伝えした、夏目漱石が言っている

利己主義ではなく、個人主義ということです。

 

 

その生き方の行き着くところが「 フロー(flow) 」だと感じています。

 

 

子供の心になって楽しんでトレードをする。

そうすることで、

チャートと一体になる感覚、「 フロー(flow) 」体験を得られる。

 

誰かのために、何かのためにトレードをするのではなく、

「 行為そのものに深く没入 」して

ただ、その行為を楽しむ。

 

そこには、

『 知識創造の方法論 ―ナレッジワーカーの作法― 』で述べられている

「 無 」の哲学や「 純粋経験 」と同一の感覚があると思っています。

 

 

この状態になれば、

結果はついてきます。

 

 

 

動画で紹介した白隠禅師の坐禅和讃の一部と

山田無文老師の言葉です。

 

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坐禅和讃

 

衆生本来仏なり

水と氷のごとくにて

水をはなれて氷なく

衆生の外に仏なし

衆生近きを知らずして

遠く求むるはかなさよ

譬えば水の中に居て

渇を叫ぶが如くなり

 

しゅじょうほんらいほとけなり

みずとこおりのごとくにて

みずをはなれてこおりなく

しゅじょうのほかにほとけなし

しゅじょうちかきをしらずして

とおくもとむるはかなさよ

たとえばみずのなかにいて

かつをさけぶがごとくなり

 

 

けふよりは

をさなこころに

たちかへり

たゝわわとのみ

わらひてくらさむ

 

   太室( 山田無文の道号:僧侶が付ける号 )

 これは、山田無文老師が還暦祝賀の節に
 湧き溢れる詩情を短歌の形に凝結させた珠玉の一言です( 書籍注 )

           『 白隠禅師 坐禅和讃講話 』 山田無文著 より

 

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私の生き方の師匠は嫁さんです。

彼女は、私と結婚する前、

交通事故に会って 3 ヶ月間意識不明で

植物人間状態から回復する確率は 5% しかないというところから

生還しました。

その後も、脳挫傷の後遺症で一生寝たきりだと言われていたのに

今では普通に歩いています。

( 一部障害は残っていますが )

 

僕らは白隠禅師が言うように、

水の中にいるのに、

その水の存在に気が付かないで、喉の渇きを訴え続けています。

 

彼女は、一度その水から外に出たことで

水のありがたさに気がついたのかもしれません。

 

結婚する前、何かと深刻に考えすぎる私に

いつもこう言ってくれました。

 

「 もっと楽に生きようよ 」

 

 

生きてるだけでまるもうけ。。。ですよね。